個人ブログに謙遜はいらない

枯れ葉に埋まるカエル

へりくだりすぎると埋もれて誰も見ない

「役に立つかわからない記事ばかり書いてる雑記ブログだけど読んでくれたら嬉しいな」

・・・的な自己紹介をしているブロガーさんをときどき見かけるんですが、意味がわかりません。

人に読んでもらう前提で文章を書いているのに「コンナモノデスガ」っていうのはないでしょう。

対面なら美徳とされる謙遜ですが、情報発信をするという文脈では果てしなく無意味だと思います。

個人ブログで謙遜する理由?

おそらく「コンナモノデスガ」系の自己紹介を書いている人は読者の期待値のハードルを下げに行ってるのでしょう。

具体的には、

  • 書いている内容に自信がない(ブログをはじめてすぐ等)
  • 自分に自身がない(自分みたいな人間が書いた文章なんて目に入れてもらえるだけでも等)
  • 現実世界の習慣をブログでもやっている(「つまらないものですが」の精神)
  • 「いい人」に見られたい
  • ネガコメが怖い

といったところでしょうか。

ぼくもブログを書きはじめてすぐは謙遜していました。ブログのような長文はほとんど書いたことありませんでしたし、コンテンツが人にとっておもしろいか自信ありませんでした。そしてなにより手斧飛び交うはてなブログ出身ですから、ネガコメも怖かったです。

いつ炎上するか、厳しいツッコミが飛んでくるかわからないのがネットの世界。「何か書きたい」「誰かに読まれたい」と思いながら、いざという時のために防御線を張っておきたい。だから謙遜してハードルを下げにかかるんですよね。

謙遜は免罪符にはならない

しかしブログの世界においては、自信のなさを謙遜で表現することは無意味です。「つまらないものですが」とハードルを下げる手法は、ブログにおいては通用しません。

なぜなら、ブログの読者は菓子折りを差し出すあなたの姿勢ではなく、菓子折りしか見ないからです。本当に著者のことなんて微塵も見ていません。当ブログの過去のクリック解析が数字で示しています。読者はコンテンツにしか興味がないと。

つまり書いてあることがおもしろいor役に立てば「いいね!」がつくし、そうでなければ無視されるし、逆鱗に触れれば罵倒されます。著者が謙遜していようがしていまいが、この事実は変わりません。

言いかえると、本人が謙遜しているからといって記事内容の正確性や信頼性、品質の低さが許されるわけではないということです。

謙遜は免罪符にはなりえません。

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謙遜するより重要な3つのポイント

読者の期待値のハードルをコントロールしたいなら、へりくだってハードルを下げにかかるより優先すべきポイントが3つあります。

記事のスコープ、情報の正確性、コンテンツの独自性です。

記事のスコープ

記事のスコープとは、記事が扱う内容の範囲のことです。

たとえば「GWにおすすめの穴場おでかけスポット(港区編)」という記事で、長崎のハウステンボスを紹介していたら変でしょう。港区の情報を求めてきた読者からするとわけがわかりませんよね。

同じくこの記事「個人ブログに謙遜はいらない」の中に「今日こんなランチ食べた」的な話が混ざっているのは明らかにおかしいですよね。オピニオンに対する「なんで?」が知りたくてクリックしたのに、求めてもいないランチの話が入っているんですから。

ときどき記事のイントロに最近のニュースについて一言入れたあとに本題に移るスタイルの人を見かけますが、読者からするとタイトルとイントロが不整合を起こしているだけで読む気が失せます。本当にわけがわかりません。

読者の期待値をコントロールするなら、この記事は何の話を扱うのか、タイトルやイントロでスコープを明らかにするほうが謙遜よりはるかに効果的です。

情報の正確性

情報の正確性とは、記事に書いてある内容がどれだけ正確かを指します。

情報発信する人間として自分の記事に責任を持つことはきわめて重要ですよね。昨今のWELQ問題GoogleやFacebookのデマニュース対応を見てもわかるとおり、これまで自由きわまりなかったネットの世界において情報の正確性はより強く求められています。

もちろん個人ブログもこの煽りを受けます。Googleの品質ガイドラインが改訂され、「メインコンテンツの質と量」より「信頼性、権威性、専門性」が検索結果順位においてより重視されるようになったのは記憶に新しいですよね。「信頼性、権威性、専門性」をひっくるめたのが情報の正確性(を通じた読者不利益の回避)ということです。

とはいえ、個人ブログで情報の正確性を担保するにも限界があると思います。ならばせめて、記事のどこからどこまでが検証済の正確な情報で、どこからが不正確な推測や個人の感想なのか、範囲がわかるようにしておきましょう。

たとえば信頼できる情報源があるならリンクを張っておく、引用は引用であると示す、どこが自分の考えなのかわかるように書くなど、読者に伝えてハードルをコントロールする方法はいくらでもあると思います。

オピニオンではない情報発信系の記事で炎上するのってだいたい「主語大きすぎ」「嘘言うな」ですし。

コンテンツの独自性

コンテンツの独自性とは、コンテンツが独自であることです。(そのまま!)

他にはない、自分にしか出せないコンテンツなら読者にとって新しい情報なんですから、期待値のコントロールなど考えなくてもよいはず。謙遜なんてする必要がありません。「ワタシの話を聞いて!」と思いっきり叫べばいいじゃないですか。

独自のコンテンツを作る代表的な方法は、自分が一次情報源になる(0を1にする)、既存のものを新しい視点や切り口で捉える、既存のものを組み合わせるの3つです。この中で最も強いのが1つ目。個人ブログは生々しい体験談を書いて一次情報源になるのがベストだとぼくは考えています。

個人ブログが生き残る道は、生々しい体験談を書くことだ
個人ブログは濃い体験談を書くことこそ生き残る道なのではないか。

自己紹介で謙遜して「コンナモノデスガ」をやるくらいなら、誰も行ったことない場所、誰もやってことないことをネタにして、下手くそでもいいからブログに書きなぐればいいんです。その情報を求めている人は文章の上手い下手なんて気にせず貪るように読んでくれますよ。

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まとめ:個人ブログの謙遜は損だ

以上、個人ブログに謙遜はいらないというお話でした。

まとめると下記。

  • 読者がコンテンツしか見ない以上、謙遜による期待値コントロールは無意味
  • ハードルを下げたければ、記事のスコープを絞るか、情報の正確性を高めるか、コンテンツの独自性を究めろ

顔の見えるリアルの世界であれば謙遜は美徳です。しかし個人ブログはネットの世界。読者が何をどう見るかはリアルとは全く異なります。

無駄に謙遜するのはやめて、コンテンツ磨きに勤しんだほうがいいと思いますよ。

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