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気楽に生きたい外資コンサルのブログ

トラックが「生活物資配達中」って言い訳がましい張り紙を出してたんだけどさ

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赤い小さなおもちゃのトラックの横アングル写真

こんにちは、NAEです。

陸の物流を支えるトラック。荷台やドアには多くの場合、社名やロゴや積載物が書かれていると思います。

先ほど大通りを歩いていたとき、少し珍しいトラックを見ました。

「生活物資配達中」という、一見いいわけにも見える紙を掲げていたのです。

今回はそんなお話。

トラックは煙たがられる存在らしい

すれ違ったのはほんの一瞬でした。

その水色の中型トラックは、環状八号線の外回り、杉並区に向かう方面に走っていました。

青い作業着でタオルを頭に巻いた若いお兄ちゃんがアンニュイな表情で握るハンドル。

そのすぐ先、フロントガラスに見えるように掲げられていたのが

「生活物資配達中」

と書かれたA4サイズの紙でした。


その日の朝、2歳の息子くんと一緒に見ていたYoutubeでちょうど福岡県トラック協会のCMが流れているのを見ました。

トラックは生活を支えている、なくなったら困るんだよ、というのがそのCMの趣旨です。

へえ、福岡ではそれほどまでにトラックが煙たがられているのか、なんて思っていたばかり。

かのトラックが「生活物資配達中」と掲げた意味も、きっとその文脈に含まれるのでしょう。

「生活物資配達中」と掲げなければならない事情

しかし、なぜわざわざ「生活物資配達中」と掲げなければならないのでしょうか

冒頭にも書いたとおり、トラックは陸の物流を支える存在です。運んでいるのは企業の活動やぼくたちの社会生活を支えるものであることなんて、少し考えれば自明であるはず。

これ逆にいうと、少しですら、考え、想像することを拒む人が存在するということになりますよね。

見る側の想像力

トラックは大きくてうるさい。「トラック野郎」という言葉からくるヤンキー感。長距離トラック業界のブラック感。

映画やドラマで子供を轢くのはトラック。交通事故のニュースで「乗用車が突っ込んだ」より「トラックが突っ込んだ」の方がインパクトが大きい。

このような先入観もあいまって、トラックに対するイメージはえてしてマイナスからのスタートになってしまうのではないでしょうか。

ものごとの良し悪しを考えるとき、多くの人はまず先入観やイメージで判断します。選挙を思い出してください。国の行く先を決める大事なイベントですらイメージひとつで票田が動いてしまいますよね。イメージの力は強いんです。


そんな状態なわけですから、トラックは邪魔だなんて思われてしまっているのかもしれません。

トラックは社会生活を下支えしているという事実、そしてトラックが走っていなかった場合の生活への影響。そんな想像を差し置いて。

出す側の責任?

もちろん、見る側に「ちゃんと想像しろ」なんて出す側が言えるはずがありません。

  • トラックは景色の一部にすぎない。単なるOne of themにそこまで時間と労力はかけないよ
  • むしろ出す側が自分の存在意義をアピールしてよ。それもパッと見で分かる形で

なんて声が、見る側から聞こえてきそうな気がします。

しかし、これ冷静に考えると、見る側が甘えているように見えませんか?

説明しなければわからない専門的なことを聞いてほしいわけではない。1秒考えればわかること。それでさえも「てめーが教えろ」と言っているように見えてしまいます。

教えて君に対して「ググレカス」と言いたい、そんな気分になってきます。

「赤ちゃんが乗っています」やマタニティーマークと同じ話

ここで思い出したのが、「赤ちゃんが乗っています」というシールを貼っている車に対する辛辣な意見でした。

だから何? 「赤ちゃんが乗っています」のステッカーが持つ本当の意味 | パピマミ

子供を持つ親からすると、だから何?じゃねーよと言いたいところ。


また、妊婦を守るためのマタニティマークが逆に妊婦を危険に晒すなんていう話もあります。

マタニティマークが危険?!外出時、あなたはつける派?つけない派? | MARCH(マーチ)

妻が妊娠中の身なのでてめーらの血は何色だと腹が煮えくりかえる思いです。


とはいえ、こう受け取る人がいる事実は認めなければなりません。妻や子供を守るためにも。

「生活物資配達中」という紙を掲げなければならなかったトラックも、きっと同じ哀しみにさらされているのでしょう。

優しさが減ったのが生きづらい理由なのか

こういうことを考えるたびに

優しさとはなんなのか、一体どこにいったのか

なんて思いにかられます。

いろいろな人の視点に立って事情や思いを理解する。小学校から国語や道徳で学んだはずなのに、その教えはどこへやら。


もし、全員が全員、人を慮らず身勝手になってしまったら。

誰もがいつも、自分の存在意義を主張しないといけなくなります。でないと、そこにいることすら批判されるから。

「生きづらさ」を説いた自由ネコさんのこちらの記事で「自己肯定感」という言葉が登場し、話題になりました。

自己肯定感が低く、生きづらさを抱えている人が最初に取り組むべき事 - 自由ネコ

自己肯定感、つまり自分で自分を認めてあげることが生きづらさを解消するヒントだということ。

書いてあることは正しいと思うんですが、自分にしか頼れない状態はそもそも異常なんて気もします。

人が少しの優しさを持っていれば、1秒でもいいから想像力を働かせて他の人の立場にたってものごとを考えられるなら、もっと生きやすい世界になるのでは。


見る側は、出す側に甘えてないでちゃんと慮ること。これができないから「日本人は幼児化している」なんて言われてしまうのではないでしょうか。

幼児化する日本人に便乗するデザインってどうなの - NaeNote

まとめ:おもいやりってなんだろうね

というわけで、トラックの掲示から考える優しさと生きやすさでした。

イメージでものごとを瞬時に判断するのは脳みそが楽をするため、なんていう話もあります。

認知バイアスの功罪と利用法 - あなたの色めがねは何色ですか? - NaeNote

そのため、すべてに対して想像力を働かせてゼロベースで考えろ、というのは理想論であることは承知しています。

しかし、だからといって想像力をゼロにして自分の視点にこもり、果てには批判に走るのはなんか違うと思うんですけどね。

今回は以上です。

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